1988年の今日、6月26日のこと。
最後の2台の4R105改がどうなったか?
まずラストランに立ち会えなかった1257が大橋から新羽営業所に移され留置してあるというので、またもや同級生と見に行くことに。

当時、新羽には各拠点から廃車の一部が集められていました。 
すべての廃車ではなく各機種数台ずつだったので、部品取り用だったのかもしれません。
毎年6月に何十台も一斉代替するので、大半は解体業者に直送だったはず。
東急の場合、都営バスの東雲倉庫や神奈中バスの129号沿いの置場のような大規模ヤードは存在しません。
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幕も社紋も広告板も外され、チビたタイヤを履かされ、魂が抜けてしまった1257の亡骸。
現実と理解していても、愕然としました。
4Rは全滅したので、部品取りとしても価値はないはずですが……。

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こちらも大橋所属、U20Hの第一陣1317です。
4R105改の後継機種ながら、同じ48年度車として数日遅れで新車登録された一群も全滅。
隣の東急コーチ1号車は、のちに電車とバスの博物館に展示されます。 

では肝心の1258はどうなったか?
道中、同級生が大橋に立ち寄って得た情報は意外な内容でした。

「きのう浜松に運ばれたんだってよ」

……まさか中古バスとして走ることはないであろうと。
解体業者に鉄屑として買われたか、あるいは倉庫か事務所に使うのか?
それ以上わからぬまま時が流れます。
(Y.A)